株式会社 走り井餅本家
東海道随一といわれた逢坂山・追分辺りの賑わい
逢坂の名水をたたえる走井と走り井餅
走井と走井茶屋は、いま
東海道大名物 走り井餅 商品紹介
牛車を助けた峠道の車石
民衆文化 大津絵
大津そろばん
街道土産の縫い針 〜大津針〜
東海道大名物 走り井餅 商品紹介
商品のご案内
街道土産の縫い針 〜大津針〜
江戸時代の東海道名所図会によると、逢坂山名物は「算盤、縫い針、大津絵、餅」などとなっています。餅はもちろん「走り井餅」。そして大津絵、そろばん…もうひとつの縫い針も、街道土産として人気がありました。
みすや針
【儒学者のすすめた針】
「逢坂山この辺の町に針を売る所多し、とらやを良しとす」と書いたのは貝原益軒。大谷の虎屋針は慶長十一年(1606)の創業で、良質の針として知られていました。ほかには大谷みすや針、追分池川針の大黒屋などの名も見られます。
昔の分銅計。かつてはこれを使って針を量り売りしていた。(福井家所蔵)
▲昔の分銅計。
かつてはこれを使って針を量り売りしていた。(福井家所蔵)
【大津針、ウィーンへ】
追分池川針は先祖が奈良の人で、中国から舶来の縫い針が大和に伝来し売り始めた最初、天正四年(1576)創業。万治二年(1659)伏見の池川から追分に移り、池川針と呼ばれました。
製造高は、幕末に450万本、明治4年に186万3600本とあり店頭売りで、販路拡張と製法改良を怠ったことにより、生産数は減少しました。
 明治六年、オーストリアのウィーンで開かれた博覧会商品見本市には大津針が出品されました。
ページトップに戻る ▲
copyright(c)2005 HashiriimochiHonke Co. Ltd., All rights reserved.
株式会社 走り井餅本家
大津市横木一丁目3-3 TEL.077-528-2121
お問い合せ