片岡家のほか、玉づくりの名人・小島庄兵衛、木屋安兵衛、昆布屋定治郎ら、多くのそろばん師が技を競って優れたそろばんを生みだし、「そろばんといえば大津」といわれたもの。追分・大谷あたりには、江戸三百年間にわたって多くの製造業者、職人、関係業者が集結し、全国の需要をほとんど一手に引き受ける状態でした。
日本で最初のそろばん塾は、江戸初期に京都の河原町二条付近において、毛利重能(しげよし)が角倉家の倉庫を借りて開いたとされます。大津追分は、珠算教育のメッカとなった京の中心地に近く、当時の「よみ・書き・そろばん」教育の波にも乗って、大津そろばんは隆盛を極めたのでした。
大津そろばんは、一見しただけで違いがわかり、しかも他には真似のできない二大特徴を誇っていました。一つは、ヒゴが極めて細く優美な表情。二つ目は本指(ホンザシ)と称する組み方で、釘も鋲も接着剤を一切使わず、貧乏ゆすりもしない堅固さ。これは門外不出の秘法とされ、非常に複雑で独特の技によるものでした。そしてこの二大特徴が、日本のそろばんを優れたものにしたといえます。