江戸時代の追分・大谷あたりは、京と伏見・宇治への街道分岐点としても賑わいを見せていました。街道沿いには各種の土産物屋が建ち並び、京や大津の名産品が売られていたのです。
芭蕉も詠んだ大津絵は、徳川中期以降には相当世に知られた追分・大谷名物。またの名を追分絵、大谷絵とも呼ばれます。店先で絵師が描き、一枚物や掛軸になおしたものが店頭に並べられていました。
そもそもは寛永年間(1624〜44)、逢坂山のふもとである追分・大谷付近で町絵師が素朴な仏画を描いて旅人に売ったことがはじまりです。五代綱吉の貞享・元禄の頃(1684〜1702)が最盛期だったようです。
芭蕉の俳句にあるように、当初は仏画専門、やがて世俗的な戯画となり、肉筆だけでなく版画もふえました。「藤娘」の絵は縁結び、「鬼の念仏」は子どもの夜泣き止め、座頭と犬はケガしない、などと街道を往く旅人や庶民の身近な護符として愛されてきました。
明治中期、東海道が鉄道の旅にとって替わり、街道名物の大津絵も次第に忘れ去られるようになったものの、大正時代に民芸運動を起こした柳宗悦は、大津絵を世界の民衆画のなかでも筆頭と評価したものです。いま、現代の大津絵師がその伝承を継承し、また全国には愛好家が多数おられます。
●「藤娘」…愛嬌で良縁を得る
●「鬼の念仏」…子どもの夜泣き止め
●「弁慶の鐘」…火難盗難除け・体強健・金運
●「奴の槍持ち」…一路平安・道中安全
●「瓢箪なまず」…水難除け・万事円満解決
●「座頭と犬」…ケガしない・倒れない
●「鷹匠」…五穀成就・紛失帰る
●「矢の根」…目的成就・願い事叶う
●「雷公」…くわばらくわばら
●「寿老人」…無病で長寿を保つ
大津そろばん
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