株式会社 走り井餅本家
東海道随一といわれた逢坂山・追分辺りの賑わい
逢坂の名水をたたえる走井と走り井餅
走井と走井茶屋は、いま
東海道大名物 走り井餅 商品紹介
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逢坂の名水をたたえる走井と走り井餅
【歌人も詠んだ名水】
 京の都と近江を分かつ逢坂山。その逢坂越えの大津追分には、清らかな水が勢いよく湧き出す井戸があり、古来より「走井(はしりい)」と呼ばれてきました。枯れることのない清浄な泉として平安時代から名高く、大宮人たちが歌に詠んでいます。
走井の程を知らばや逢坂の 関ひきこゆる夕かげの駒 元輔   走井の筧の水の涼しさに 越えもやられず逢坂の関 清輔
※注1 清少納言の父で三十六歌仙の一人
※注2 藤原顕季以来の六条藤家の和歌の家を継ぐ。
今も涌き続ける月心寺の「走井」
▲今も涌き続ける月心寺の「走井」
【旅人の験かつぎ】
やがて江戸時代、街道が発達すると茶店が建ち並び、その名を冠した大津追分「走り井餅」が東海道大名物となります。逢坂の関は京の都の玄関口。清浄な水の湧く走井が旅人のオアシスとなり、人々は走井の甘露でついた「走り井餅」で旅の疲れを癒し、都へ入る装いを整えたといいます。
 「走井」は湧き方がとくに勢いよく、あふれて・走る・清水を囲った井戸。そばに建つ「走井茶屋」で休憩をとる旅人たちの風景は、東海道五十三次の浮世絵や東海道名所図会に克明に描かれています。
 「走り井餅」の創始は明和元年(1764)。その餅の形は、清冽な水しぶきの一滴一滴を表しています。また両端を尖らせた形は刀鍛冶・宗近が走井の水で鍛えた名刀に似て、この餅を食べれば道中剣難を免れると、旅人たちがこぞって縁起をかついだ餅とも言われております。
【異国人が記録した走り井餅】
 追分付近については、元禄三年から二年間(1690〜92)長崎出島にやってきたドイツ人医師ケンプエルが、このように紹介しています。
 「四百軒ばかりの長き町筋をなし小物鍛冶、挽物師、彫刻師、天秤の分胴を作る職人、針金工などあり、殊に画師、絵画商、神仏商多く住まへり」(『江戸参府紀行』)
 峠に店々が続き、にぎわう様子がよくわかります。
 「どんな小さな茶屋にも、いつでも米の粉で作った白か緑の小さな菓子がある。旅人や輿夫は、これを買って茶と共にたべる。茶はいつも飲めるように、用意されている」
 こちらは安政年間(1772〜80)、オランダ人カピタンに従って江戸に赴いたスウェーデン人ツンベルグの紀行文。異国人の目に映った「走り井餅」と街道茶屋の風景です。追分・大谷には茶店が多く、なかでも「走り井餅」が東海道大名物として旅人の楽しみとなっていました。「走り井餅」は長持ちする餅としてもたいそう喜ばれました。
走井と走井茶屋は、いま
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